かかれもの(改訂版)

本や写真、現代思想の点綴とした覚書

相互テクスト性としての「引用」

 相互テクスト性の範疇である引用 citation について。まずはジュネットの定義から。

相互テクスト性 intertextualité
 第一のテクスト的超越性。
 ジュリア・クリステヴァが探求した間テクスト性と同一の用語であり、範例として扱っている。但しジュネット独自の制限を加え、「あるテクスト内での他のテクストの実際上の存在」という、より具体的な言葉として再定義している。
 最も明白な形式としては、あるテクスト内に実際にテクストとして存在するもの。いわば引用 citation のことである。同様に明白な形式ではあるが、規範的でないもの。いわば剽窃 plagiat という表れ方もする。
 そのほか明白でない形式として暗示 allusion がある。これは「ある言表と、その言表のしかじかの抑揚が必然的に回付し、それによってはじめて受け入れうる他の言表との関連を感知することが前提とされない限り、完全には理解しえない言表」のことである。

五つのタイプの超テクスト性 - かかれもの(改訂版)

 引用はテクストにおける基本的な実践です。ジュネットは引用 citation について、アントワーヌ・コンパニョンが先例のない成果を挙げていると注釈しました。コンパニョンは引用文についてこう説明します。

(・・・)引用文は間テクストの自明な操作子であると理解される。引用は、読み手の能力に訴えかけて、読解という装置を始動させる。読解という装置は、ひとつの引用のうちに、二つのテクスト――その関係は、等価でもなければ、単なる反復でもない――が突きあわせられる形で置かれるやいなや、ある作業を行うはずである。しかし、この作業は、テクストに内在するひとつの現象に依存している。すなわち、引用は、独特な仕方でテクストを掘削し、それを切開し、それを隔てているのである。そこには意味の探求が存在し、読解がその探求を進めていくのである。つまり、それは、ひとつの穴であり、ポテンシャルを秘めたひとつの差異、ひとつの短絡といったものだ。現象とは差異であり、意味とはその差異の解決である。

アントワーヌ・コンパニョン『第二の手、または引用の作業』p61

 私はこの引用という現象について長く疑問を抱いてきました。というのも、引用には「手際の良さ」があり、それは書き手の資質として明らかに表出しているのですが、それを言語化することがひどく難しいのです。

 数多くブログを読んでいると、稀に的確に引用文を持ち出す人がいます。主題との調和、手際の良さに惚れ惚れしてしまいます。手捌きの術をぜひご教示願いたいものです(しかし、彼らは意識せずにそれをこなしているようにも見えます)。

付箋、スナップ写真、Qui suis-je?(私は誰か?) - かかれもの(改訂版)

 すべての引用が手際良く実践されているわけではありません。浮き出た引用(他人のディスクールを、あたかも自分のディスクールであるかのように振る舞わせるテクスト)や、ねじ曲げた引用(「ケーキを食べればいいじゃない」のような誤用を重ねたテクスト)はしばしば見かけます。
 では、手際の良し悪しを隔てる形式があるかというと、実はそうでもありません。重要な点はテクストの形式ではなく、テクストの継ぎ目にあります。つまり、

 引用とは、私のテクストにおける外部の身体である。なぜなら、引用は、固有のものとして私に帰属していたものではなく、横取りしてきたものだからである。したがって、その同化は、器官の移植と同じように、拒絶反応の危険を孕んでいる。その危険から身を守らなければならないし、その危険を無事避けることができれば、それは大きな喜びである。接木が、ちゃんとくっつけば、手術は成功なのだ。良心的な職人が、自分の苦労や経験的な干渉の痕跡をとどめない完成品を作り、それから身を離すときに味わう満足感というものが、私にはわかる。

アントワーヌ・コンパニョン『第二の手、または引用の作業』p44

 美学者による引用からは、引用符号ギュメが跡形もなく消え去っていることでしょう。浮き出た引用であろうと、ねじ曲げた引用であろうと、傷は滑らかに縫合されているのです。

 あるテクストと、そのテクストが引用したテクストの関係は暗示(天啓)のような効果を生み出します。文章の最小単位である引用文は、一つの意味を表します。これは元の場所(書物)から意味を引き剥がし、読者に対して木を見て森を想像させるように読解させるのです(エピグラフが書物全体であるように)。

 ここから、剽窃と暗示が、引用から遠く隔たったものではないことが示されます。剽窃は引用文をその引用符号ギュメから解き放ったものであり、暗示はテクストを引用することなしに意味を回付させる引用と言えます。暫定的に図式化させましょう。

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引用文の漸次的移行

 引用は引用符号の枠に収められて提示されます。剽窃と暗示には枠がありません。不器用な引用文には、ちぐはぐな印象がありますが、美的な引用文には、あらゆるテクストの始原であるかのような振る舞いがあります(原-テクスト)。

 私たちが「パクり」「パロディ」「オマージュ」「ジャンル(様式)」といった曖昧な言葉で、他者の(時には自らの)作品について評価するのは、この引用文の縫合のざらつき具合に依っていると考えられます。荒仕事で書かれたエクリチュールの傷は誰の目にも明らかですが、丁寧な仕事で磨かれたエクリチュールの傷を見つけるのはそう容易くないでしょう。そこには繊細な指先の感覚、光の拡散反射を観察する目が必要です。