かかれもの(改訂版)

本や写真、現代思想の点綴とした覚書

五つのタイプの超テクスト性

 ジェラール・ジュネット(Gérard Genette)は『物語のディスクール』をはじめとした、超テクスト性三部作*1*2を著した文学理論家です。間テクスト性という言葉と共に、文学の「読み」に大きな影響を与えました。

 二十世紀半ば、文学における中心的な研究は作品分析からテクスト分析へと移行しました。その過程で生みだされたのが「間テクスト性(transtextualité)」という言葉です。これは文学理論の範疇に収まらず、構造主義のキータームにもなりました。

 しかし、年月を経た今でも「間テクスト性」は定着するどころか、混乱の最中にあるようです。ニュアンスの異なる訳語はあちこちで見られるでしょう。例えば超テクスト性、テクスト間相互関連性、ハイパーテクスト性等々。辞書的な意味を知ることすら難しい状況です(これは日本語に限った話ではないようです)。

f:id:recrits:20180928001922j:plain

 ジュネット浩瀚な書物『パランプセスト : 第二次の文学』の冒頭でこれらを明確に整理しています。私自身の備忘録も兼ねて一部引いておきしょう。

超テクスト性 transtextualité

 超テクスト性とは詩学の対象であり、「テクストのテクスト的超越性」といえる。
 大雑把に「テクストを他のもろもろのテクストに、明示的にか暗黙理にかはともかく、関係づけているあらゆるもの」といえる。
 この概念はいくつかの超テクスト的関係を含みこんでおり、ジュネットは具体的に次の五つのタイプに分類している*3。 

相互テクスト性 intertextualité

 第一のテクスト的超越性。
 ジュリア・クリステヴァが探求した間テクスト性*4と同一の用語であり、範例として扱っている。但しジュネット独自の制限を加え、「あるテクスト内での他のテクストの実際上の存在」という、より具体的な言葉として再定義している。
 最も明白な形式としては、あるテクスト内に実際にテクストとして存在するもの。いわば引用 citation のことである*5同様に明白な形式ではあるが、規範的でないもの。いわば剽窃 plagiat という表れ方もする。
 そのほか明白でない形式として暗示 allusion がある。これは「ある言表と、その言表のしかじかの抑揚が必然的に回付し、それによってはじめて受け入れうる他の言表との関連を感知することが前提とされない限り、完全には理解しえない言表」のことである。

パラテクスト paratexte*6

 第二のテクスト的超越性。『スイユ:テクストから書物へ』の中心的な対象。
 テクストに付随する表題・副題・章題、序文・後書き・緒言・前書き等々を指す。そのほかにも傍注・脚注・後注、エピグラフ・挿絵・作者による書評依頼状・帯・カヴァー、およびその他数多くのタイプの付随的な、自作または他者の作による標識も含まれる。
 これらはテクストに対してある種の囲いを与え、また時には公式もしくは非公式の注釈を与える。

メタテクスト性 métatextualité

 第三のテクスト的超越性。
 あるテクストを、それが語っている他のテクストに、必ずしもそれを引用することなしに、それどころか極端な場合にはその名を挙げることすらなしに結ぶ関係、より一般的には「注釈」の関係のこと。

イペルテクスト性 hypertextualité

 第四のテクスト的超越性。『パランプセスト : 第二次の文学』の中心的な対象。
 あるテクストB(イペルテクスト hypertexte)を注釈の方法ではない仕方でそれが接ぎ木されるところの先行されるテクストA(イポテクスト hypotexte)に結び付けるあらゆる関係。
 より一般的には、あらかじめ存在する他のテクストから派生したテクストといえる。

アルシテクスト性 architextualité

 第五のテクスト的超越性。『アルシテクスト序説』での中心的な対象。
 もっとも暗示的、かつ抽象的。完全に沈黙の関係。「文学の文学性」ということができる。
 言い換えれば言説のタイプ、言表行為の様式、文学ジャンルのことである。
 
 以上がジュネットの示した超テクスト性の五つの分類である。
パランプセスト―第二次の文学 (叢書 記号学的実践)

パランプセスト―第二次の文学 (叢書 記号学的実践)

 

 

 なお、ジュネットの残した成果全体を捉えるのであれば、彼が指し示す「テクスト」はコンセプチュアルなものとして解釈する必要があります。

 のちに刊行される『芸術の作品』*7では、詩学者の立場から「芸術作品の超越性」について論じられます。ジュネットはテクスト分析の延長線に美学があることを発見したのです。「テクストの実践」によって文化を分析する仕方は、彼が文学理論家でありながら同時に記号学者であることを正統に示しているでしょう。

芸術の作品〈1〉内在性と超越性 (叢書記号学的実践 28)

芸術の作品〈1〉内在性と超越性 (叢書記号学的実践 28)

 

*1:Introduction à l'architexte(1979)(『アルシテクスト序説 』(1986))Palimpsests: Literature in the Second Degree(1982)(『パランプセスト : 第二次の文学』(1995))Paratexts. Thresholds of Interpretation(1997);Seuils(1987)(『スイユ : テクストから書物へ 』(2001))

*2:三部作を要約した文章として次を引用します。

 ジュネットは特定の作品や作者を目的とはしていない(もちろんプルーストやジェイムズやボルヘスヴァレリーについては人並みに語るけれども)。彼が目指すのは文学形式の一般理論,つまり詩学と呼ばれるものなのである。著作を重ねるごとにジュネットが論じてきたのは,彼のいわゆる超テクスト性transtextualité,すなわち「あるテクストを他のテクストに明示的もしくは暗黙裡に関係づけるすべてのもの」として定義されるテクストのテクスト的超越性にほかならない。これらの関係についてジュネットは,そのうち三つのタイプを詳細に研究してきた。すなわちアルシテクスト性,イペルテクスト性,そしてパラテクスト性である。これではアリストテレースでも迷ってしまうだろうか?簡単な例を挙げてみれば,古代の師父もそこに自身の弟子たちをあらためて見出すことだろう。中学生なら誰でも知っている書物,ミシェル・トゥルニエの『フライデーあるいは野生の生活』を例にしてみよう。これは小説であり,三人称で書かれている。そしてこの小説が「小説」というジャンルと取り結ぶ帰属の関係は,アルシテクスト性に(『アルシテクスト序説』が論じている)属している。他方,トゥルニエの小説は,デフォーの小説の変形として明白に提示されている。すなわち『フライデー』はロビンソン・クルーソーのイペルテクストなのである(五百ページからなる『パランプセスト』が検討に付すのはこれらのさまざまな派生形式なのだ)。最後に,あらゆる書物がそうであるように,『フライデー』もまたタイトルや紹介寸評等々に囲繞された姿で提示されている。この周辺部こそが『スイユ』で研究されたパラテクストをなしているのである。

 

和泉涼一「ジュネット自身の語る『芸術の作品』―イヴァン・ルクレールとの対談―」「対談 ジェラール・ジュネット――詩学と美学」(イヴァン・ルクレールの解説より)

*3:ジュネットは慎重を期し、これらは執筆時点(1981年10月13日)に見られる超テクスト性であって、網羅的でも決定的でもないという。21世紀以降を視野に入れると、インターネットにおける「ハイパーテキスト」は欠かすことができない

*4:Séméiôtiké, Edition du Seuil, 1969

*5:Antoine Compagnon,La seconde main,1979 ジュネットは先例の無い研究として本書を挙げる。『第二の手、または引用の作業』(水声社)として2010年に邦訳されている。

*6:または「準テクスト」

*7:L'Œuvre de l'art 1 : Immanence et transcendance(1994)