グンナー・リーストルはハイパーメディア上のコミュニケーションの特徴を修辞学との比喩で説明しました。
この表はロラン・バルトが『旧修辞学 便覧』で示した修辞学の規範的な区分を拡張したものです*1。
バルトは同書のなかでActio〔行為〕とMemoria〔記憶〕の操作を分析の対象から除外しました。なぜなら、演説におけるドラマツルギー(Actio)と、演説を記憶しておくための戦略(Memoria)は、〈声〉の文化と深く結びついていた為、文字の文化では既に失われてしまったからです。
グンナー・リーストルはActioとMemoriaが現代のハイパーメディア的なコミュニケーションに再び現れることを指摘し、その効果について修辞学(口頭演説)の五つの区分と対置させました。
著者と読者の相互作用(インタラクション)は、情報空間のナビゲータとして、読者が見当識障害に陥らないための補助記憶装置の役割を果たします*2。
固定された相互テキストが大量に貯蔵され、機械的に伝達されるようになりました。現代的な著者は、その外部化した記憶を利用していかに物語を創るかという「第二の著者」に変容しています。
文字は著者と読者の距離を離しましたが、ハイパーテキストは両者を再び隣り合わせることになるでしょう。
Gunnar Liestøl, Wittgenstein, Genette and the Reader's Narrative in Hypertext, Hyper/Text/Theory所収 (ジョージ・P・ランドウ)
*1:バルトは生の素材である«主題»が「修辞機械(La machine rhétorique)」によって操作されることで、完全で構造化された弁論が現れると説明しました。