凡例
本稿は、編者 William Marx による序文・インタビュー(Acta fabula, vol. 24, n° 2, 2023年2月)、Alexandra Follonier による書評論文(Acta fabula, vol. 24, n° 10, 2023年11月)、および コレージュ・ド・フランス等の公開資料に基づいて構成したものであり、Gallimard 刊行の原本(2巻)を直接参照したものではない。本文中のページ番号参照はすべてこれらの二次文献を経由している。ヴァレリーの原文の引用についても、特記のない限り上記文献中の引用に依拠している。
Ⅰ. 書誌と刊行の意義
Paul Valéry(ポール・ヴァレリー、1871–1945)がコレージュ・ド・フランスの「ポエティック(Poétique)」講座教授として1937年から死去する1945年まで行った講義は、ごく一部を除いて長らく未刊行のままであった。生前に公にされたのは、立候補の際にコレージュ・ド・フランスの教授たちに配布した教育計画書「De l'enseignement de la poétique au Collège de France」と、就任講義の内容をまとめた「Première leçon du cours de poétique」(いずれも Variété に収録)にほぼ限られていた。にもかかわらず、この講義は聴講者を通じて戦後の文学批評に大きな影響を残し、その内容は「神話」の地位を獲得していた。Marx によれば聴講者にはバルト、ブランショ、ボヌフォワ、シオラン、トゥルニエらが含まれていた(Marx, コレージュ・ド・フランス公式インタビュー)。ただし Follonier が注意するように、聴講の頻度や継続性は人によって異なる。
約80年の沈黙を経て、2023年1月5日、コレージュ・ド・フランス「比較文学(Littératures comparées)」講座教授の William Marx(ウィリアム・マルクス)の編集により、ガリマール社の「Bibliothèque des idées」叢書から全2巻として刊行された。Marx はこの講義をヴァレリーの「最後の大きな作品(dernière grande œuvre)」と位置づけ、「おそらく彼の思想の核心を表現した唯一の作品」であると述べている(Marx, Acta fabula, 2023年2月)。
書誌データは以下のとおりである。
- 著者:Paul Valéry(1871–1945)
- 編者:William Marx
- 協力者:Andrei Minzetanu、Céline Surprenant
- 出版社・叢書:Gallimard, coll. « Bibliothèque des idées »
- 刊行日:2023年1月5日
- 第1巻:Le corps et l'esprit (1937–1940), 688 p.(EAN 9782072907067)
- 第2巻:Le langage, la société, l'histoire (1940–1945)(EAN 9782073000156)
第2巻のページ数について、Acta fabula のインタビュー記事(vol. 24, n° 2)では 751 p.、同誌の書評論文(vol. 24, n° 10)および Babelio, Diacritik 等の複数のソースでは 752 p. と記載されており、揺れがある。現物の奥付による確認を推奨する。
刊行支援について、奥付(ResearchGate 経由で確認した冒頭ページによる)には次のように記されている。「précieux concours(協力)」として Collège de France および Bibliothèque nationale de France(BnF)、「généreux soutien(支援)」として Fondation Proficio および Centre National du Livre(CNL)。この二層構造は奥付上の記載に基づくものである。
Ⅱ. 資料の性格と編集方針
本書は、ヴァレリーの講義を完全に復元した講義録ではない。フーコーやバルトの講義録が録音や手稿に基づいてかなりの程度まで復元しているのに対し、本書は性質の異なる複数の資料を組み合わせて講義の内容を多角的に照らし出す構成を取っている。
ヴァレリーは8年間で約200回(Marx は「près de deux cents」と述べている)の講義を行ったが、完全な形で残るテキストは37回分である。この37回分の内訳は以下のとおりである。
速記者 Fernande Sergent による速記謄本(sténotypie)が28回分存在する。Sergent はまずガストン・ガリマールに、次いでヴァレリーの友人・秘書であった Monod に委託されて速記を行った(Follonier, Acta fabula, 2023年11月)。ガリマールによる委託は、講義内容を書物として出版する計画に基づくものであった。このうち12回分は、ガリマール社の委託に由来する1938年の講義であり、その存在自体が全く知られていなかったが、Marx がガリマール社の文書管理者に情報を伝えたことをきっかけに文書館から発見された。残る16回分は、Monod の委託に由来する1945年の講義であり、パリの Bibliothèque littéraire Jacques Doucet のヴァレリー文庫に所蔵されていたものの半ば忘れられた状態にあった(Marx, Acta fabula, 2023年2月)。残りの約9回分は、BnF のヴァレリー文庫に保存されたヴァレリー自身の準備ノートのうち、講義一回分の内容をほぼ通しで書き下したものである。
これに加えて、BnF のヴァレリー文庫に保存された準備ノート約2500枚のうち約4分の1が転写・収録されている。さらに、ヴァレリーがコレージュ・ド・フランスに提出した年次プログラム・要約、および複数の聴講者によるレポートも含まれている。
Follonier はこの版について、「逐次的転写(transcription diplomatique)の代替よりも、知的内容の復元を優先する」編集方針を取ったと評している(Follonier, Acta fabula, 2023年11月)。Marx 自身もインタビューで、「滑らかで均質なテキスト(un texte lisse, homogène)」を目指したと述べており、ヴァレリーの修正を本文に統合し、草稿生成論的な校訂(édition génétique)ではなく読みやすさを重視した古典的校訂版を志向したことを説明している。各講義には編者による見出しと導入要約が付されており、約1400頁に及ぶ2巻を読者が自在に渉猟できるよう設計されている。
Ⅲ. 講義の主題と構造——個人から社会へ
実験としての講義
ヴァレリーの講義は、通常の教育的講義とは異なり、研究上の取り組みと不可分な実験的試みとして構想されていた(I, p. 77、Follonier 書評による参照)。Follonier はこの講義を「思考の実験室(laboratoire de la pensée)」と呼び、教育内容が「その対象と同じ素材で構成されている(constitué de [la] même matière que son objet)」(II, p. 310、同書評による参照)と述べている。
この実験的性格を同時代に観察・記録した数少ない証言として、モーリス・ブランショの時評「La poétique」(Journal des débats, 1942年8月5日。後に Faux pas, Gallimard, 1943 に収録)がある。Follonier はこのテキストから次の一節を引用している。
この講座を、言葉の偶然の魅力、この教えが体現する脱線と冒険の精神から切り離すことは、いまの段階では困難に思える。一見即興的な会話という手段を用いて追求されたこのような方法——定義もほとんど不可能な、そして定義不可能な主題に取り組む探求にとって、あまりに厳格なアプローチは受け入れ難く、発見の逆転や矛盾から守られた計画よりも、意図的な偶然の助けを借りる必要があったのだ——このような方法、精神の本質的な不安定さの像であり、探求の比喩であると同時に手段であるものとして、これ以上に意味深いものがあるだろうか?(Blanchot, Faux pas, 1943, p. 137。Follonier 書評に再引用)
Marx は、ブランショですらこの講義の全体的な一貫性を把握できなかったと指摘している。口頭で数年にわたって展開される即興的な思索から、体系的な構造を読み取ることは同時代の聴講者にとって困難であった。Marx によれば、この版の「第一の成果」はまさにこの一貫性を可視化したことにある——ヴァレリーが1890年代初めから『カイエ(Cahiers)』のなかで構築しはじめた「システム(Système)」(ヴァレリー自身の用語)の完全な構造が、この講義において初めて書物として展開されたのだと Marx は論じている(Marx, Acta fabula, 2023年2月)。
8年間の展開——「システム」の段階的拡張
Marx のインタビューに基づき、講義8年間の主題的展開を以下に概述する。
第1巻(1937–1940年)は講義の最初の3年間を収める。Marx によれば、第1年目はイメージ、記憶、感情といった感受性の産物を通じた精神の機能の検討に充てられた。第2年目は、創造行為を可能にする意識的行為の研究に進んだ。第3年目(1939–40年)は開戦により講義が部分的に中断され、ヨーロッパの危機と知識人の責任についての考察が展開された。ガリマール社の公式紹介文はこの時期について「第二次世界大戦への突入が、ヨーロッパと知識人の将来についての衝撃的な省察を生んだ」と記している。
第2巻(1940–1945年)は占領期から解放にかけての5年間を収める。Marx によれば、内的言語(langage intérieur)の問題が個人的創造と集団的創造を架橋する主題として浮上し、言語の社会的機能——制度・法・宗教の基盤としての言語——の分析に進んだ。さらに社会、文化、歴史への一般的考察を経て、最終年に総括が試みられた。最終年には悲劇論の展開が予定されていたが、ヴァレリーの病によって1945年3月に講義は中断され、4か月後にヴァレリーは死去した。
この展開は、Marx の表現を借りれば、「個人の精神の機能から社会的な機能全般へと至る思索の道程」であり、ヴァレリーは講義の制度的な制約のもとで——しかし Marx が言うように「ヴァレリーは制約の人であり、つねに制約のもとで仕事をしてきた」——このシステムを段階的に展開することを「余儀なくされた(amené sous la contrainte)」(Marx, Acta fabula, 2023年2月)。
Marx はこの講義の学際的射程を強調している。ヴァレリーの理論は哲学のみならず認知科学、社会学、経済学、法学、歴史学の知見を取り込んでおり、20世紀前半の社会科学の発展を反映している。Follonier は Marx の序文を参照しつつ、この講義を「精神の生の全的人類学(anthropologie totale de la vie de l'esprit)」(I, p. 44、Follonier 書評による参照)と特徴づけている。
Ⅳ. 概念的背景——Discours sur l'esthétique(1937)における三つの「山」
Cours de poétique の概念的基盤を理解するための補助線として、同年(1937年)の別の場でヴァレリーが提示した概念整理を参照する。以下は Cours de poétique の内容そのものではなく、ヴァレリーがコレージュ・ド・フランスの講座開始と同時期に、第2回国際美学・芸術科学会議で行った講演「Discours sur l'esthétique」(Variété IV, NRF, Gallimard, 1938, pp. 235–265)における議論である。原文は Classiques des sciences socialesのデジタル版で閲覧可能である。
伝統的美学への批判
ヴァレリーはまず、哲学が「美(le Beau)」を感覚的な事物から切り離し、抽象的に考察してきた歴史を概観する。その帰結として伝統的な美学(Esthétique)は「美を美しい事物から分離する」という逆説に陥ったと批判した。この批判を踏まえてヴァレリーは、美学文献を「山(tas)」に分類するという比喩を用いて、みずからの概念整理を提案した。
第一の山——Esthésique(エステジック)
ヴァレリーは第一の群を「Esthésique」と命名した(「que je baptiserais : Esthésique」)。これはギリシア語 aisthēsis(感覚)に由来する造語であり、感覚の研究——とりわけ「一様で明確な生理学的役割を持たない感覚的刺激と反応(les excitations et les réactions sensibles qui n'ont pas de rôle physiologique uniforme et bien défini)」の研究を扱う。すなわち、生存に不可欠な感覚ではなく、余剰的・非機能的な感覚的反応の領域である。ヴァレリーはこれを「我々の宝(notre trésor)」と呼び、芸術のすべての豊かさはこの資源から汲まれるとした。
第二の山——Poétique / Poïétique(ポエティック/ポイエティック)
第二の群には「作品の制作に関わるすべて(tout ce qui concerne la production des œuvres)」が集められる。ヴァレリーはこれを次のように定義した——「心理的・生理学的根源から物質や個人への働きかけに至る、人間の行為全体の一般的観念(une idée générale de l'action humaine complète, depuis ses racines psychiques et physiologiques, jusqu'à ses entreprises sur la matière ou sur les individus)」。具体的には、発明と構成の研究、偶然・反省・模倣・文化・環境の役割、さらに技法・工程・道具・素材・手段の検討と分析がここに含まれる。
注目すべきは、ヴァレリーがこの第二の群に名前を与える際の言い方である——「私はこれを Poétique、いやむしろ Poïétique と名づけよう(que je nommerais Poétique, ou plutôt Poïétique)」。「Poétique」はアリストテレスの「詩学」(Περὶ ποιητικῆς)のラテン語・フランス語訳を通じて定着した語であるが、ヴァレリーはギリシア語 poiein(作る)の語源的意味を回復するために、綴りを「Poïétique」に改めた。コレージュ・ド・フランスの講座名として採用された公式名称が「Poétique」であるのに対し、ヴァレリーが自身の準備ノートにおいてこの講義を「Cours de Poïétique」と呼んでいたことは、ITEM(ENS/CNRS)のヴァレリー研究チームが指摘するとおりである(「par lui rebaptisé "Cours de Poïétique"」、ITEM セミナー紹介文)。BnF のヴァレリー文庫における資料分類が「XIII POÏETIQUE」の項目のもとに「Cours de poïétique」を配置している事実も、この改称がヴァレリー自身の意図的な選択であったことを裏づけている(BnF, Archives et manuscrits, NAF 19086–19104)。
第三の山——絡み合いの領域
ヴァレリーはこの二分法を提示した直後に、その不十分さを認めている。「この分類はかなり粗い。また不十分でもある。少なくとも第三の山が必要だ——私のエステジックと私のポイエティックが絡み合う問題を扱う著作が積まれる山が(Il faut au moins un troisième tas où s'accumuleraient les ouvrages qui traitent des problèmes dans lesquels mon Esthésique et ma Poïétique s'enchevêtrent)」。感じること(Esthésique)と作ること(Poïétique)が分離できない領域の存在を認めたのである。
さらにヴァレリーは、「この指摘を自分自身にしてみると、自分の試みが幻想的なものではないかと恐れが生じる(cette remarque que je me fais me donne à craindre que mon propos ne soit illusoire)」と述べた。体系の完結を宣言するのではなく分類の限界を自ら指摘しつつ語り続けるこの身振りは、Cours de poétique 全体を貫く実験的性格と通底するものである。
Ⅴ. Cours de poétique の概念的特徴——二次文献に基づく整理
以下は、原本を直接参照できない制約のもと、Follonier 書評および関連学術論文に基づいて整理した Cours de poétique の概念的特徴である。引用のページ番号はすべて二次文献を経由している。
制作・消費・作品——三項関係と意外な選択
Follonier によれば、ヴァレリーは Cours de poétique において、制作(production)、消費(consommation)、作品(œuvre)の三項関係を分析の枠組みとして設定した。この三項のうち、ヴァレリーは制作と消費の二要素の研究を優先し、作品については「最も面白くない(le moins intéressant)」(II, p. 408、Follonier 書評による参照)として退ける立場を表明した。形式主義の擁護者とみなされてきたヴァレリーの筆としては意外な選択であると、Follonier は指摘している。
なお、ヴァレリーが作品を「退けた」と宣言したにもかかわらず、実際の講義では文学的形式を正面から論じた回も複数存在していた。Follonier は、詩の統一性、悲劇論、文体論、散文論など、講義内に「ポエティック」の語の通常の用法に近い議論が散在していることを詳細に指摘している。宣言と講義の実態との間にはずれがあり、この緊張関係そのものがヴァレリーの思索の特質であるとも言える。
美的無限性(l'infini esthétique)
ヴァレリーの概念のなかで、制作と受容の交差を端的に示すのが「美的無限性(l'infini esthétique)」である。ヴァレリーは 1934 年のテキスト「L'infini esthétique」(Art et Médecine, 1934 年 2 月初出。後に Œuvres, t. II, Bibliothèque de la Pléiade, pp. 1342–1344 に収録)において、日常的知覚と審美的経験の根本的な差異を次のように論じた——日常的知覚においては、感覚的刺激が安定と均衡へ向かう(不快をゼロに戻す傾向がある)のに対し、審美的経験においては「満足が欲求を再生させ、応答が要求を再生させ、現前が不在を生み、所有が欲望を生む」(同テキスト。原文は Classiques des sciences sociales のデジタル版で閲覧可能)。知覚の効果が自己強化的に循環する、この構造をヴァレリーは「美的無限」と呼んだ。Jean Hytier はこの概念群を「効果の理論(théorie des effets)」として体系的に整理している(Hytier, La Poétique de Valéry, Paris, Armand Colin, 1953, 2e éd. 1970)。
Cours de poétique においてもこの概念は中心的な位置を占めている。Follonier の書評によれば、第 3 回講義でヴァレリーはこれを芸術の本質的要素として次のように定式化した——芸術には「感覚的事物のシステムを組織するという企図——それらが引き起こす欲求を決して満たすことなく、自らを再び求めさせるという特性を持つシステム」が含まれる。「創造は、自分自身への欲望を生み出す対象を産出することを目指す。これこそ私が美的無限と呼ぶものであり、芸術作品を人間の他の作品から最も明確に区別するものである(C'est ce que j'appelle l'infini esthétique et qui distingue le plus nettement l'œuvre d'art des autres œuvres de l'homme)」(I, p. 154、Follonier 書評による参照)。
Follonier は、同種の考察が Variété 所収の「Notion générale de l'art」(1935 年)や「Réflexions sur l'art」(1935 年)にも見られることを指摘しており、Cours de poétique はこれらの先行テキストを教育的文脈で再展開したものと位置づけられる。
さらに、この循環構造は受容者の側だけでなく制作者の側にも存在するとする議論がある。クロード・テリアン(Claude Thérien)は、ヴァレリーの美学における感覚的受容と制作の関係を論じた研究論文(« Valéry et le statut "poïétique" des sollicitations formelles de la sensibilité », Les Études philosophiques, 2002/3, n° 62)において、ヴァレリーにおける Esthésique と Poïétique が「不可分の全体(un tout indissociable)」を形成しており、制作のなかに受容の契機が、受容のなかに制作の契機が含まれると分析している。この相互浸透の構造は、Discours sur l'esthétique で第三の「山」として想定された Esthésique と Poïétique の「絡み合い」を具体的に展現する概念として読むことができるが、ヴァレリー自身がこの二つのテキスト(Discours sur l'esthétique と Cours de poétique 第3回講義)を明示的に結びつけているかどうかは、手元の資料からは確認できなかった。
Compagnon はこの循環構造が、講義全体を貫く「精神の経済学(économie spirituelle)」の枠組みの中心に据えられていたことを指摘している。作品は「それ自体が満たそうとするところの欲求を創出する」(II, p. 139、Compagnon 論文による参照)という自己言及的な循環と形容した。
「精神の生の全的人類学」としての射程
Follonier は Cours de poétique の全体的性格を、「本質的に精神的事象の社会学的・経済学的理論(essentiellement une théorie sociologique et économique des choses de l'esprit)」と特徴づけている。テキストの内的形式の分析よりも、精神がいかに作り、いかに感受するかという動的過程、そしてその過程が社会的制度のなかでいかに機能するかに力点が置かれている。ヴァレリーが用いる「知的資本(capital intellectuel)」「証券取引所(bourse de valeurs)」「ハビトゥス(habitus)」といった概念群は、この社会学的・経済学的な射程を端的に示している(いずれも Follonier 書評による参照)。
Marx はこの講義が、フッサールの現象学、ヴィトゲンシュタインの哲学批判、ブルデューの社会学的分析、さらには今日の神経科学の研究と驚くべき共鳴を示すと述べている。ただし Marx 自身が強調するように、これは系譜的な影響関係の主張ではなく、独立に並走する思考の並行性の指摘である(Marx, Acta fabula, 2023年2月)。
Ⅵ. 刊行後の学術的展開
ITEM によるセミナーと草稿研究
ITEM(Institut des textes et manuscrits modernes, ENS/CNRS, UMR 8132)のヴァレリー研究チームは、刊行に先立つ2022年から「Cours de Poïétique」を対象とする研究セミナーを開始し、BnF に所蔵された準備ノートを対象とする草稿研究を本格化させた。2023年のセミナー紹介文によれば、目標は Cours de poétique のオンライン概念辞典(dictionnaire notionnel en ligne)の刊行と、Revue des Lettres Modernes「Paul Valéry」シリーズ(Classiques Garnier)での論文集の出版である。
国際コロック「Valéry au Collège de France」
2023年6月15〜16日(14日はプレイベントとして Mon Faust のテレビ放映版の上映)、コレージュ・ド・フランスにおいて、William Marx と Matilde Manara の企画による国際コロックが開催された。Marx 自身がこれを「刊行から半年での最初の本格的な総括(un premier bilan, six mois après la parution)」と位置づけている。神経科学者の Jean-Pierre Changeux、心理学者の Olivier Houdé、哲学者の Claudine Tiercelin、文学研究者の Antoine Compagnon、Jonathan Culler、Gilles Philippe らが分野横断的に参加した。また日本からは塚本昌則、森本淳生が寄稿している。
成果は論集 Valéry au Collège de France(éd. W. Marx et M. Manara, Paris, Éditions du Collège de France, coll. « Faire savoir », 2025, 304 p., ISBN 978-2-7226-0827-6)として刊行されている。同書はOpenEdition Booksで部分的にオープンアクセスで公開されている。
Ⅶ. 参照リソース
以下に、本稿の執筆に用いた主要な公開リソースを掲げる。
本書に関する学術的評価
- Follonier, Alexandra, « Poétiques de Valéry », Acta fabula, vol. 24, n° 10, novembre 2023(書評論文)
- Marx, William et Alexandra Follonier, « La Poétique retrouvée de Valéry. Entretien avec William Marx, par Alexandra Follonier », Acta fabula, vol. 24, n° 2, février 2023(インタビュー)
- Marx, William, « Une anthropologie de l'esprit », Le Grand Continent, 21 janvier 2023(解説記事、1938年1月21日の講義全文掲載)
ヴァレリーの美学・詩学に関する先行研究
- Hytier, Jean, La Poétique de Valéry, Paris, Armand Colin, 1953 ; 2e éd. 1970(ヴァレリーの「効果の理論」を体系的に整理した研究書)
- Thérien, Claude, « Valéry et le statut "poïétique" des sollicitations formelles de la sensibilité », Les Études philosophiques, 2002/3, n° 62, pp. 353–369(ヴァレリーの Esthésique と Poïétique の不可分性を論じた論文)
コレージュ・ド・フランス関連
- Marx, William, 「Les interrogations de Paul Valéry traversent toutes les sciences humaines et sociales」, Collège de France(公式インタビュー)
- Colloque « Valéry au Collège de France », 14–16 juin 2023(コロック告知)
刊行後の研究成果
- Marx, William et Matilde Manara (éd.), Valéry au Collège de France, Paris, Éditions du Collège de France, coll. « Faire savoir », 2025(コロック論集、部分的オープンアクセス)
- Compagnon, Antoine, « Le serpent se mord la queue », in Valéry au Collège de France, éd. W. Marx et M. Manara, Paris, Éditions du Collège de France, 2025(美的無限の循環構造と「精神の経済学」を論じた論考)
一次資料
- BnF, Archives et manuscrits, Fonds Paul Valéry, NAF 19001–19734(ヴァレリー文庫カタログ。「XIII POÏETIQUE」の分類構造を含む)
- Valéry, Paul, « Discours sur l'Esthétique » (1937), in Variété IV, NRF, Gallimard, 1938, pp. 235–265
ITEM(ENS/CNRS)ヴァレリー研究
- Séminaire Valéry « Cours de Poïétique » / 2023, ITEM
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