かかれもの(改訂版)

本や写真、現代思想の点綴とした覚書

バベルの電子図書館

 オンライン版「バベルの図書館」が公開されました。「バベルの図書館」とは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスが想像した、あらゆる書物が収められている完全無欠な書物空間です。

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library of babel

The Library of Babel is a place for scholars to do research, for artists and writers to seek inspiration, for anyone with curiosity or a sense of humor to reflect on the weirdness of existence - in short, it’s just like any other library. If completed, it would contain every possible combination of 1,312,000 characters, including lower case letters, space, comma, and period. Thus, it would contain every book that ever has been written, and every book that ever could be - including every play, every song, every scientific paper, every legal decision, every constitution, every piece of scripture, and so on. At present it contains all possible pages of 3200 characters, about 104677 books.

About the Library

 「このバベルの図書館では、研究者が調査を行い、アーティストと著述家が霊感を求め、全ての好奇心のある者、ユーモアのある者に対して、その存在の不可思議さを与えます。――要するに、他の図書館と同じです。ここには小文字、空白、コンマ、ピリオドからなるあらゆる1,312,000文字の組み合わせが存在します。したがって、ここには今までに書かれたすべての本、これまでに書かれた可能性のあるすべての本が含まれています――すべての劇、すべての歌、すべての科学論文、すべての法的判断、すべての憲法、すべての聖句……。今のところ3,200文字で可能なあらゆる頁で、100000...(10の4677乗)冊の本があります。」

 これで万物の知は集約され、全ての本が手中に収められたのでしょうか*1

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0-w1-s1-v19「ui.cvsp」Page 1 of 410

 本棚から一冊手にとると、そこには意味をなさない文字列が並んでいます。いくら頁をめくっても変わりません。それもそのはずで、ここに所蔵されている書物は文字のランダムな組み合わせによって構成されているのです。結果として開いた本の「ほぼ」全てはナンセンスに綴られているのです。

 そう聞くと、この図書館が取るに足らない存在であるような気がしてきます。途方も無いノイズの中で私はどのようにして本を探せばよいのでしょうか。

 

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in the beginning the word already existed.

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 「はじめに言葉ありき」(ヨハネ福音書1:1)

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いろは歌

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 「いろは歌

 ここには機械仕掛けの司書が勤めています。全ての本棚、全ての書物、全ての頁、全ての文字の在処を完璧に記憶している*2頼もしい存在です。

 しかし、ここに至って私はテキストを書き記すことの不可思議さについて考えるようになります。私が偶然選んだ言葉は、バベルの図書館に必然的に収録されているのです。創造性とは、未だかつてこの世に存在しないものを生み出すことではなく、一度書かれたテキストを再活性化させる運動ではないか、と仮説することもできます。

 流動的な文字空間をある点で静止させることによって意味を現前させる。新たに何かを生み出すのではなく、配置(記憶、段階)の問題へと。私は短絡回路(ショートカット)を連ねるのです。こうして、言葉とは、ある記号体系の中で、それを一つの記号として言葉で表現することだというトートロジーへ落ち着くのかもしれません。

 バベルの電子図書館の作者Jonathan BesileはこのLibrary of Babelを作り上げる過程で明らかになった技術的な困難さと、その困難を突破する上で浮き彫りになった哲学的な問いを『Tar for Mortar』に著しました。この図書館は実体として存在していないにも関わらず、あらゆるテキストを所有している……という問題です。これは物体として存在していないという比喩ではなく、真に存在していない(電子的な文字がサーバに記録されている訳でもない)という問題です。図書館の内部では、入力に対して排他的に、再現性のある、ランダムな結果を返す、機械仕掛けの歯車が回っているに過ぎないのです。一体、誰が、バベルの図書館を制限することなどできるでしょう。

Tar for Mortar: "The Library of Babel" and the Dream of Totality

Tar for Mortar: "The Library of Babel" and the Dream of Totality

  • 作者:Basile, Jonathan
  • 発売日: 2018/03/13
  • メディア: ペーパーバック
 

 

 空中に浮かぶ「ラピュータ島」にある不可思議な言語機械は、すべての芸術と科学の完璧なる体系の百科全書を製造すると語られます。

 ラガド・アカデミーでは、不可思議な言語機械を作動させる教授が存在している。この機械の二〇フィート四方の組枠のなかには、バルニバルビ語のあらゆる単語を、法、時制、格変化に応じて無秩序に記入した骰子状の木片が、数多く詰め込まれている。三六人の学生が組枠の周囲のハンドルを回転させると、次々と木片の連鎖が新しい文章を生み出し、四人の学生がそれをすばやく記録する。教授は、「書物のなかにある不変化詞バーティクル、名詞、動詞、その他の品詞の相互の分量割合関係にいたるまでを、きわめて厳密に計算して」いて、この機械を五百台完全に運転させれば、「すべての芸術と科学の完璧なる体系」を包含した、百科全書的な書物が製造しうると豪語する。

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『空想旅行の修辞学―『ガリヴァー旅行記』論』四方田犬彦

 

 あらゆる書物を収めた図書館、万物が記された書物という普遍的な発想の歴史を辿ると、ライプニッツキルヒャーマラルメといった西洋哲学における奇異な面々が姿を表すことでしょう。ボルヘス自身がこのように注釈しているのですから。

「バベルの図書館」という物語を書いた最初の人間は、筆者ではない。その歴史および前史に好奇心をいだく者は、レウシップスとラスウィッツ、ルイス・キャロルアリストテレスなどの異質の名前が見出される「スル」誌の五十九号のあるページを調べるとよい。

「八岐の園」

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

 

 

*1:司書はこう言うでしょう「ここにはあらゆる書物が存在する。ただし、あなたが知っている書物だけだ」

*2:正確には記憶ではなく計算です。それは、すべての文字の組み合わせを表現することができる計算式です