かかれもの(改訂版)

本や写真、現代思想の点綴とした覚書

『第二の手、または引用の作業』引用の系譜学

 シークェンスⅢ、シークェンスⅣ、シークェンスⅤより。

 コンパニョンは引用の記号的関係性(シークェンスⅡ)から導かれる四つの構造的な関係について、系譜学的に説明します。

引用の機能と形式

 引用を分析するために、対象を「機能」と「形式」に分割します。

 私たちは何よりもまず引用の意味や印象といった「機能」に着目し、それを網羅的に挙げようと考えますが、これでは泥沼にはまってしまいます。なぜなら、引用の機能は限定されず、たえず変化しているからです。これに対して「形式」については、引用の基本図式にあてはめることで単純なパターンに帰着させることができます。

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文面の〈関係〉

 コンパニョンの示した基本図式から、T1-T2、T1-A2、A1-T2、A1-A2の四つ関係を導くことができます。シークェンスⅢからⅤでは、この四つの関係について、そのディスクールが広がった背景と共に、その時代における引用の機能と形式が整理されます。

 さて、それでは引用の機能とは何でしょうか。これは「引用の反復価値が一体何であるか」という問いに言い換えられます。コンパニョンは、引用の反復価値は時代背景に大きく左右されると考えました。つまり、引用によって生み出される価値は、「すべて競合的に存在する諸々の反復価値のうちの、ひとつの特殊なヒエラルキーに相当するのである。機能とは、時代が備給するひとつの価値であり、ひとつの強度、あるいは、固有の諸価値のなかで歴史的に定着した特殊なひとつの組み合わせ(p135)」であると*1

系譜学の区画

 著者対テクストの諸形式をパースの記号論に基づいて整理したのが下表です*2

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テクストと著者の関係

 三つの形式(シンボル、インデックス、アイコン)が重要な役割を担っていた時代と、それに対して認められていた機能(価値)は次のような表で整理することことができます。

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引用の形式と機能の系譜

 ここから、時代と共に変化する引用の価値について、詳細な分析が展開します。

引用の系譜

引用の前史 古代の修辞学

この愛想のいい土着民が教えてくれた言葉を私が反復しようとしたとき、その土着民は叫んだ。「おやめなさい。ひとつの言葉が使えるのは一度だけです」。

 

ポッツァロ『旅』

ひとりの修道士がアッバ・テオドールに会いにやってきた。そして、自分にひとこと言葉をかけてほしいと願って三日を過ごしたが、返事を得ることはできなかった。彼は悲しみに沈んで帰っていった。そして、老人の弟子が尋ねた。「アッバよ、あなたはなぜあの男に一言も言わなかったのですか。あの男、ずいぶん悲しげに去っていきましたが」。老人はこう答えた。「実際、私はあの男にしゃべらなかった。それは、あいつが商人であるから、つまり、他人の言葉で自らに栄光を授けようと欲しているからだ」と。

 

アッバ・テオドール・ド・フェメル(ジャン=クロード・ギイ『古代人の言葉』)

 まずはじめに古代において「引用」という言葉は存在しませんでした。引用が引用として成立する以前、当時の人たちはどのように他者の言葉を語ったのでしょう。

 ここではアリストテレスプラトンの思想を中心に引用の機能が検討されます。彼らは現代における引用に相当する表現を「ミメーシス(模倣)」と呼びました。

 アリストテレス詩学において最も品位の高い表現は悲劇であると記しました。これは悲劇が最も模倣性が高い形式であることに由来します(悲劇は直接話法で再演され、著者はその物語に介入しません)。一方プラトンは『国家』のなかで「ミメーシス、財産、家族は有害なものである」と記します(これらはいずれも所有の概念に関わるものです)。両者のミメーシスに対する態度は対称的で、正反対の評価を下しているように見えます。

 この対称の原因は明快に説明することできます。つまり、アリストテレスプラトンが共に認めているのは、「反復」が大きな力を持ち、その使用には注意深くあるべきだということです(ミメーシスを称揚するアリストテレスが自らの言葉によって著し、ミメーシスを否定するプラトンが他者の言葉や文献によって根拠立てるのは象徴的です)。

 ミメーシスをより良く扱うために、ミメーシスは二つの次元に分けられます。それは、良い引用と、悪いイメージです。悪いイメージとは一般に「シミュラークル」と呼ばれます。シミュラークルは、魔術的な力で外示の無いディスクールを濫用する詭弁の別称です(意味と外示)。一方、良い引用とは、空虚な引用で権威づけることはせず、賢者の「思考の引用」をすることです。弁論家は引用によって良い思考、良い発想が授けられるのです。
 アリストテレスは引用(良い引用)に相当する修辞学的実践を「グノーメー」と定義しました。これは、それ自体が理(ラシオ)を持っている決まり文句、自明な理(格言や金言)です。グノーメーに著者は介在しません。グノーメーは引用者のディスクールについての純粋な補強となる、理想的なシンボルです。グノーメーは主体に従属するものであり、グノーメー自体が主題になることはありませんでした。

 生きたディスクールを操る素晴らしい弁論家に対して、空虚な引用を繰り返す価値の低い存在は「代筆修辞家ロゴグラフ」(法廷弁論家が朗読する演説を舞台裏で書く人物)と呼ばれました。プラトンは一般にエクリチュールを否定したとされますが、それにも関わらず著作を多く残したということは、エクリチュールの持つ強力な機能を自覚していたことの裏返しとも言えます。

 さて、次の時代との結節点に、センテンティアという言葉が表れます。クィンティリアヌスは「センテンティアとは、ギリシャ人たちがグノーメーと呼んだものである」と言いました。

絶頂 神学ディスクール

われわれは一冊の書物を読み終え、それを論評する。論評しながら、その書物自体が論評に他ならず、それが他の多くの書物を参照することで書物となっていることに気がつく。われわれは、論評を書き、それを著作という範疇にまで高める。発表され、公共のものとなったわれわれの論評は、今度は、別の論評を招き、そして、それは、また別の論評を招いていくだろう……。

 

モーリス・ブランショ『無限の対話』

フランソワーズは、公爵夫人の言葉をわれわれに伝えて、「あの方はこうおっしゃいました。『皆様によろしくお伝えくださいましな』」と、ヴィルパリジ夫人の声音を真似て言った。フランソワーズは、夫人の言葉をそのまま言葉通りに引用していると思っていたが、プラトンソクラテスの言葉を、あるいは、聖ヨハネがイエスの言葉を引用するのと同じ程度に、夫人の言葉を歪めていた。

 

マルセル・プルースト失われた時を求めて

 コンパニョンは過大な単純化であるとエクスキューズしながら、時代の変化をこう説明します。
第一幕、古代。引用は存在しない。
第二幕、中世。引用しか存在しない。
 時代の移行を単純化するのは容易ですが、現実はそう簡単ではありません。事態は常に複雑です。しかし、幸いにもこの時代の変化はある象徴によって説明することができます。それは「聖書」の超越性です。

 古代の「グノーメー」と、中世の「聖書の引用」はちょうど逆の機能を持っていると説明できます。グノーメーは状況的な命題に対する価値を持つ一方、聖書の引用は普遍的、永遠の真実としての価値を重んじます。それは神学のディスクールが引用そのものを教義としてきたことからも分かります。「旧約聖書における異教からの引用、新約聖書における旧約聖書からの引用、教父における聖書からの引用、神学における教父学からの引用、これらをめぐる教義は、聖トマス・アクィナスによってほぼ決定的な形を与えられている。」

 中世の神学ディスクールを一言で表すなら、それは聖書について「注釈すること」です。神学ディスクールの「注釈コマンテール」は次のようにいくつかの分類があります。

  • 〈スコリア la scolie〉テクストの難解な箇所について、欄外や行間に付される短い注
  • 〈ホミリア l'homélie〉一連の〈スコリア〉を全体的に取り上げ、一般信徒を教化するための、聖書の抜粋を解説する聖書講話や説教オラチオ
  • 〈ボリューム tome〉または〈コメンタリウム commentaire〉聖書という書物についての一貫とした連続的な読解。網羅性を備えることを目指すものであり、個人的な〈スコリア〉や一般教化のための〈ホミリア〉とは異なり、学識のある人々に向けられた学術的なもの

 「注釈コマンテール」を語通りに捉えるなら、それは「コメンタリウム」を指すものとなります。神学ディスクールが聖書読解の営みであるということから、それらを包括的に表現した「注釈することコマンテ」こそが通底したディスクールとも言えるでしょうでしょう。

 オリゲネスはキリスト教における二つのディスクール、つまり旧約聖書新約聖書の狭間で生じる問題に着目しました。二つのディスクールは矛盾する内容を含んでいますが、キリスト教の神学ディスクールはどちから一方を排除することを目的にせず、二つの要素を相互補完的に注釈することによって、矛盾を解消することを目指しました(これはユダヤグノーシス的な読解、つまり明示的な意味の背後に何らかの潜在的な意味を発見する「釈義」ではありません)。キリスト教神学ディスクールという神学装置は広義な「テクスト理論」の営みと捉えることができるでしょう。

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神学ディスクールの三項関係

 聖書の言葉は「ロゴス」です*3。ロゴスは引用されても即座に源泉としてのロゴスに結びつけられ、ロゴスとしての価値を獲得します。聖書からの引用は「聖書において書かれているように……」と、それ自身がロゴスとしての権威を持つことになります。このように部分を取り出した全体の要約は際限なく拡大し、物神化へ至ります(聖書の引用というディスクールにおいて聖書からの引用はシンボル、インデックス、アイコンいずれの形式に当てはめられません)。

《ロゴス》は聖書の唯一のレフェランスであり、聖書は《ロゴス》が姿を変えたものである。聖書を構成するすべての要素は、個々別々に取り上げても、聖書の全体と同じレファランスを持っている。聖書のひとつひとつの言葉は聖書の全体を意味し、《ロゴス》を表示している。というのも、あるひとつのロゴス logos は、《ロゴス Logos》を分有している点で、それを掲示するひとつの記号に他ならないからである。オリゲネスはこう書いている「神の《ロゴス》は、初めに神とともにあったものであり、それは多弁ではないし、あまたのロゴスでもない。それは、多くの文から成る《み言葉》であるが、そのひとつひとつの文は、同じ全体の一部分、同じ《ロゴス》の一部分なのである」。つまり、聖書の全ての文はお互いに等価である。なぜなら、それらはすべて《ロゴス》を含んでいるからである。聖書は数々の独立した小さなロゴスの連続であるが、これらは、全体から離れても、その性質を失うことはない。それらは〈聖書の声ウォケス・バギヌム〉であり、〈神の印ウェスティギア・ディー〉である。切り離されたひとつひとつの小さな切れ端であっても、そこには聖書の全体が潜在的に含まれているというのである。オリゲネスは言う。「聖書のひとつひとつの言葉は、種子に似ている。種子は、ひとたび大地に投げられ、穂が出れば、どんどん増え、広まっていく。[……]穂は最初のうちは、痩せて小さく見えるかもしれない。しかし、その穂を大切に育て、霊的に扱う、熟練した熱心な庭師に出会うならば、それは、やがて、樹木のように大きく成長し、大枝小枝を茂らせるだろう」。(pp.264-265)

 神学ディスクール旧約聖書新約聖書に関する読解であり、小さなロゴスの集合体です。ロゴスは神学ディスクールにおける重要な形式の一つです。

 この時代を特徴づける一つの引用の価値、それはアウクトリタス(権威)です。聖書読解の解釈項として加えられる注釈(小さなロゴス)は権威ある博士の手によって構成されています。

 権威ある者による注釈という営みは教父学の範疇です。教父学における神学ディスクールは一見すると聖書に由来する言葉と博士の注釈というテクスト対テクストの関係に見えますが、実際はその限りではありません。アウクトリタスとは、ある著者を必然的に参照して引用したものであり、そうでない注釈には価値は認めないということです。つまり、その関係は引用するディスクールT2と引用される博士A1の関係であり、主張する者と神聖化される者の間の関係であり、一種の儀式的な関係と言えます。ここから、注釈することが伝統と深く関わることになります。新たに加えられる注釈が伝統的で権威ある者によるかどうかによって、それらの価値が認められるかどうか決まります。エクリチュールの判断はその内容の真正よりも、権威(アウクトリタス、オーサー)に基づきます。これは旧修辞学で認められたグノーメーのような自明の理ではなく、ある人間、ある著者(auctor,actor,autor)という現実の保証人によって文面が力を持つかどうか認められるということです。神学ディスクールに特徴づけられているテクストとアウクトリタスの関係は、極めてインデックス的な関係です。

 神学ディスクールは一見、無限の源泉から永遠を感じさせる営みに見えますが、次第に絶頂への陰りが見え隠れし始めます。神学ディスクールの持つ欠点、それは「既に言われたことしか言うことができない、信仰が前提とされているディスクールである」ということです。キリスト教の神学ディスクールシミュラークルに陥った、クロノロジーを捨てた、アナクロの読みによって、その起源から自らを限界付けていたとも言えます。

 さて、次のメルクマークは「活版印刷」です。中世における本は、書字生による写本のことを指していましたが、活字の登場によって、私たちが知る近代的な書物のスタイルが確立します。ここから次第に私たちに身近な本の問題へと接近しはじめます。

テクストの固定化 近代的な引用の成立

これまでもそうであったし、そして、今もそうであるように、多くの学者たちのあいだで引用を流行させてきたのは、偽の博識と多識の精神でしかなかったということ、このことは明らかであるように思われる。というのも、引用しなければならない理由がまったくないのに、大量の文章を絶えず引用する人々を見つけるのはまったく苦もないことで、彼らが引用するのは、自分の述べていることがあまりにも明白なので誰もそれを疑わない場合であったり、あるいはまた、自分の述べていることがあまりにも謎めいていて自分でもよくわからないのだから、いわんや引用する著者たちの権威も何らその証明になどならない場合であったり、あるいはまた、持ち出す引用が自分の述べていることにいかなる装飾の役目も果たさない場合であったりするからである。

[……]自分が読んですらいない著者たちを読んだように見せかけたいとする欲求ほど異常な矜持もないだろう。しかしながら、こうしたことは頻繁に起きている、自分の著作のなかに、数世紀かかっても読了しえないほど多くの書物を読者の前に引用する三十歳の人々がいるのである。

 

マルブランショ『真理の探求』

 中世と近代の変化を象徴する存在はモンテーニュです。モンテーニュは引用を巡る根本的な問いを、自虐を装いつつ『エセー』で語りました。『エセー』は主体的な著者とアウクトリタスの所在をいったりきたりします。

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エクリチュールの移行期

 『エセー』、この過剰な引用で構成された書物は様々な批判を生み出します。パスカル、アルノー、ニコル、マルブランシュはモンテーニュエクリチュールの悪しき例の典型としました。特に先鋭化したマルブランシュはこう批判します「自分の偽の知識を見せびらかすために、ありとあらゆる種類の著者をでたらめに引用し[……]、格言と歴史の巧みな言葉を判断も区別もせぬまま積み重ねる人物を[……]、人は衒学者と呼ぶ。衒学的というのは、理性的であることの対極である[……]。衒学者は精神の器が小さく、あるいはまた、偽の博識で一杯なので、理性的に推論することができない。そして彼らは、理性的に推論することではなく、知られていない著者や古代人の格言を引用するから人が彼らを尊敬し称賛するとわかっているので、理性的に推論しようと欲することもない。[……]衒学者とはしたがって、空虚で威張っており、多くの記憶と少ない判断を持ち、引用において巧みで力強く、理性において下手で弱く、その想像力は、活発で幅広いが、不安定で狂っており、正しさのうちに自制することができない」

 エクリチュールの移行期における中途半端な引用の時代と、印刷術・活字が広がったことは無関係ではありません。近代において書物は「エンブレム」と「ペリグラフィ」の機能を獲得したのです。

 エンブレム、「施された装飾」は中世における聖書読解における「アレゴリー」とは対立する考え方です。聖書における言葉とは原初的な存在であり、記号には予め規範的、解釈可能な意味が備えられていました。一方エンブレムは人工的な記号であり人間の手によって作られたものです。これは近代における主体の確立がエクリチュールのレベルで表出したとも言えます。エンブレムは「格言集」と呼ばれる定番の形式によって広く流通することになります。格言集の形式は、タイトル・絵・解説、そして全体を囲む装飾です。『エンブレマータ』『百描画集』『見事な創案展』『死のシミュラークルと物語化された諸相』そしてエラスムスの『格言集』。エンブレムに対する銘句、格言に対する引用、引用に対するテクスト。活字からテクストへと、エクリチュールは複雑に展開することになります。これらは象徴的にも、記号論的にも活字が物化していく様相と言えます。

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アンドレ・アルシアティ,『エンブレマータ』,パリ,クレチアン・ヴェシェル,1534,(B.N.F. Rés.Z. 2511),p.25*4

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ジル・コロゼ,『百描画集』,パリ,ドゥニ・ジャノ,1540,(B.N.F. Rés.Z. 2598),フォリオD1裏*5

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ハンス・ホルバイン,『死のシミュラークルと物語化された諸相』,リヨン,メルシオール&ガスパール・トレクセル,1538,(B.N.F. Rés.Z. 1990),フォリオE4裏*6

 ペリグラフィ(書物周辺)*7とは、書物を空間として表現したものです。活版印刷の別称「人工書記」は、ここで新たな表現を生み出します。あえて古代のテクストと比較するなら、それまでオーラリティを基にした「線的モデル」であった言葉は、エクリチュールとしての「空間的モデル」へと移行しました。今や当たり前となったタイトル、著者、印刷者、刊行日、奥付、その他装飾の数々が加えられることになります。書物は一つのオブジェとなりました。その中でも特に「タイトル」は、本文に対する強い隣接性によって書物の固有名詞となります。また、「目次」と「索引」は書物空間を探索するための地図となりました(ラムスはこれを徹底的に推し進め、書物の内容を樹形図、グラフ、フローチャートで示しました)。

 こうしたアイコン的な性質は「ダイアグラム」と「イメージ」に分割できます。ダイアグラムはT1-A2の関係で、書誌に象徴されるような、自身のテキストを補強するものであったり、自らの主張を読者に理解させるための構成、編集、文献の渉猟の結果を示すものです。イメージはA1-A2の関係で、これは共謀的、同族的関係であったり、その者たちの間での血統を示すための「挨拶の文句」(タイトル、エピグラフ)です。「イメージ」という言葉の通り、何らかのマークや写真によって示されることが多く、極めてナルシシックで想像的な関係と言えるでしょう。

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テクストと著者の四つの関係

 

 テクストがオブジェになったことによる二次的な効果として、テクストの流動性が大きく変化しました。これに伴い、空間を占有する書物の扱い方、書物を所有するとはどういうことか、書物の内容を血肉化することによって何が起こるかといった、書物に関する新たな問題が前景化します。これらは今なお混乱の中にある「著作権」の問題に地続きと言えるでしょう。

外れた引用

 古代におけるシンボル、中世におけるインデックス、近代におけるアイコン。コンパニョンが試みた著者と読者、そうしてテクストの関係はこれで一巡りしました。

 しかし、この区画が完全なものではないことは明白です。自己引用の「リフレーン」(これは修辞学の範疇を越えています)や、聖書の〈ロゴス〉(超越的な神の言葉)、これらについては、基本図式の範疇を超えた対象です。基本図式にあてはまらない対象は、シークェンスⅥ「引用の奇形学」の議論へと明け渡されます。

第二の手、または引用の作業 (言語の政治)

第二の手、または引用の作業 (言語の政治)

 

 

*1:当然現代における引用の機能は本書が執筆された頃とは大きく変化しています。WebにおけるハイパーリンクSNSのタイムラインに現れる反復される言葉は異なる価値を生み出しています。私たちが今までに、そしてこれから先も日常的に行うであろう「引用」という試み、その流動的な意味を捉えることは無意味ではないはずです「3 意味場の分析」

*2:訳書では「象徴記号」、「指標記号」、「類像記号」と書かれていますが、一般に受容されている「シンボル」、「インデックス」、「アイコン」に表記に変えています

*3:ヨハネ福音書は「初めに《言葉》(ロゴス)があった」から始まる

*4:André Alciat, Emblematum liblus, Paris, Chrétien Wechel, 1534,(B.N. Z. 2511). Figure gravée sur bois, p. 25.

*5:Gilles Corrozet, Hecatomgraphie, Paris, Denys Janot, 1540, (B.N. Rés. Z. 2598). Vignette gravée sur bois. Folio D1 verso : L'ymage de témétité.

*6:Hans Holbein, Les Simulachres et historiées Faces de la Mort, Lyon, Melchior et Gaspar Trechsel, 1538, (B.N. Rés. Z. 1990). Figure gravée sur bois. Folio E4 verso avec figure : Melior est mors quam vita.

*7:これについてはジェラール・ジュネット『スイユ』が最も良いレファレンスです