かかれもの(改訂版)

本や写真、現代思想の点綴とした覚書

影と写真と幽霊の交差

 

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写真の映像 (芸術論叢書)

写真の映像 (芸術論叢書)

 

 

 もしもタルボットが、すでに1827年に、すなわち彼が写真術にまつわる実験の数々をおこなうまえにベルリンのアーデル・フォン・シャミッソーを訪問したのではなかったとしたら、この出会いは文学における影泥棒との記念すべき隠喩学的遭遇と呼ぶことができたかもしれない。ともあれ、のちに『自然の鉛筆』に関する同時代の書評のなかで、タルボットの写真芸術はシャミッソーの「ペーター・シュレミール」に比較されることになる。(『写真の映像』影絵 ベルント・シュティーグラー)

 影にまつわる物語は数え切れない程存在します。それほど「影」は私達に対して襲いかかる強度を持っているのです。この影の持つ二つ写しの性質は、写真、鏡、双子を連想させ、同一のモチーフとして語ることができるでしょう。

 村上春樹はシャミッソーの物語と共に「影」に対する特別な思い入れを語りました。

アンデルセンが生きた19世紀、そして僕たちの自身の21世紀、必要なときに、僕たちは自身の影と対峙し、対決し、ときには協力すらしなければならない。


それには正しい種類の知恵と勇気が必要です。もちろん、たやすいことではありません。ときには危険もある。しかし、避けていたのでは、人々は真に成長し、成熟することはできない。最悪の場合、小説「影」の学者のように自身の影に破壊されて終わるでしょう。


自らの影に対峙しなくてはならないのは、個々人だけではありません。社会や国にも必要な行為です。ちょうど、すべての人に影があるように、どんな社会や国にも影があります。


明るく輝く面があれば、例外なく、拮抗する暗い面があるでしょう。ポジティブなことがあれば、反対側にネガティブなことが必ずあるでしょう。
ときには、影、こうしたネガティブな部分から目をそむけがちです。あるいは、こうした面を無理やり取り除こうとしがちです。というのも、人は自らの暗い側面、ネガティブな性質を見つめることをできるだけ避けたいからです。


影を排除してしまえば、薄っぺらな幻想しか残りません。影をつくらない光は本物の光ではありません。


侵入者たちを締め出そうとどんなに高い壁を作ろうとも、よそ者たちをどんなに厳しく排除しようとも、自らに合うように歴史をどんなに書き換えようとも、僕たち自身を傷つけ、苦しませるだけです。


自らの影とともに生きることを辛抱強く学ばねばなりません。そして内に宿る暗闇を注意深く観察しなければなりません。ときには、暗いトンネルで、自らの暗い面と対決しなければならない。


そうしなければ、やがて、影はとても強大になり、ある夜、戻ってきて、あなたの家の扉をノックするでしょう。「帰ってきたよ」とささやくでしょう。(「影と生きる」村上春樹

 光の面ばかりを見ているといつしか影にしっぺ返しを食らう。全てを明るみにだす態度は物事の裏面を不可視にしてしまうのです。

 実は安部公房も、エッセイ『砂漠の思想』で不思議と似たことを語っています。

  名づけるという行為は、すなわち、幽霊どもを次々と枯尾花におきかえていく作業以外のなにものでもなかったのである。いや、この概念化の能力は、単にそうした言葉のうえの強がりにとどまるものではなく、その力なくしては、鋳鉄の方法も、火薬の製法も、反復のきく知識として保存されたりはしなかっただろうし、また、鉄砲の仕掛けだって、当然のことながら、けっして製図されたりはしなかった相違ないのだ。これは、ただ目に見えない内部の力であったばかりでなく、まさに具体的な、そして物質的な力でもあったわけだ。

(・・・)

 そう、名づけるほうの仕事は、批評や、科学にでも委せておけばいい。すくなくとも、ここでは、名づけたいという自然の行動にさからってでも、無名の幽鬼たちを、そのありのままの姿で、受け入れてやらなければならないのだ。
 こうした、名づけることを拒む精神の姿勢を、かりにも認めずにすまされる者がいるとしたら、それは芸術作品なしに、だた批評だけが存在する世界を、なんのためらいもなく思い浮かべることの出来る、まれな空想家だと言ってもいいだろう。そんな世界が、幽鬼の存在以上に、理屈に合わないものであることを、いささかも疑ってみることなしに……(『砂漠の思想』枯尾花の時代 安部公房) 

砂漠の思想 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

砂漠の思想 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

 

 「幽霊の正体見たり枯尾花」とは、幽霊だと思っていたものをよく見ると枯れたススキだったという、実体が実はつまらないものだったことのたとえ話です。村上春樹は影のない世界、安部公房は幽霊がいない世界になることを憂いているのです。彼らは同じ言語観の中で生きています。

もしも写真の歴史が二つの根本的な表象によって規定されており、それら自体、写真として現象するものの世界を決定づける亡霊にほかならないとしたらどうだろうか?そのような見方をしているのはアラン・セクラである。「おしゃべり好きな二つの亡霊が写真の中をうろついている。ブルジョワ科学の亡霊とブルジョワ芸術の亡霊である。一方の亡霊はさまざまな現象の真実性について、すなわち諸々の事実の実証的な集合体へと――つまり、認識可能かつ所有可能な客体の布置へと――還元された世界について、絶え間なく語りつづけている。第二の亡霊は、科学がへつらうような――そして、まったくもって幽霊のように不気味な――手によって犯してきた残虐行為の数々を謝罪し、これを贖うという歴史的な使命を帯びている。この第二の亡霊が、芸術家という光輝に満ちた姿に最構成された主体を、われわれに差し出してくれるのである」(Sekula,256)

(『写真の映像』幻影 ベルント・シュティーグラー)

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Geisterfotografie*1

 

 では、また別の言語観があるとしたら?「影」にまつわる話を渉猟していると、プラトンの洞窟が見えてきます。

ポール・ヴァレリーは、1939年に写真誕生100周年記念祭においておこなった演説のなかで、このように思いをめぐらせている。「もしもプラトンが、その洞窟の開口部をごく小さな穴に縮小し、スクリーンの役割を果たすその壁面に薄く感光剤を塗ったとしたら、洞窟の突き当りの壁を現像することによって、一枚の巨大なフィルムが得られたことでしょう。もしそうしていたら、われわれの認識の本性について、またわれわれの理念の本質について、彼がどれほど驚くべき結論をわれわれに遺してくれたことか、計り知れません……」(Valéry,8〔338頁〕) 

(・・・)

「いまだにより高次の認識にたどりつくことがないまま、人類はあい変わらずプラトンの洞窟のなかにとどまり、――古代の慣習にしたがって――真理のたんなる写像にうち興じているのである」(Sontag,9〔9頁〕)。ソンタグの論考の題名が主張するところによれば、われわれはあい変わらず「プラトンの洞窟のなか」におり、写像をじっと見つめつづけているのだ。そして、写像のもととなった原像は、いずれにせよすでに失われてしまったのである。その限り、デジタル写真をめぐる論争――そこではとりわけシミュラークルの定理が重要な役割を果たしているのだが――においても、プラトンの洞窟が解釈モデルでありつづけていても驚くにはたらない。つまり、写真とは「ある意味で、プラトンのいう洞窟の比喩を19世紀に転用したものである。この洞窟はひとつの表象機構をなしており、世界の影像〔=影絵〕はこの機構を通って伝送されるのだが、彼らは現実の世界に直接つながる通路を有してはいないのである。この古典的類比はデジタル映像によって強烈なまでにアクチュアルな意味合いを帯びる。というのも、デジタル映像は、もはや洞窟外部の世界で起きる出来事のたんなる影ではないからである。むしろデジタル映像は、心象と思考の円滑な協働や思いもかけぬ連想ともども、思考の流れそのものを反復しているようにも思われる」(Hamdy,7)

(『写真の映像』プラトンの洞窟 ベルント・シュティーグラー)

 ソンタグはラディカルな主張をします。私たちは古代から現代(写真時代)に至るまで、未だ幻影を見続けていると。私達は洞窟を見つけたのか?それとも、初めから洞窟の中にいるのか?

 影と写真と幽霊は私たちに何を見せるのでしょう。そこでは何が交差し、何が揺らぎ、どのような言葉が生みだされるのでしょう。

 

*1:Uni Zürich / KHIST • i-mage: inszenierte Fotografie vor/nach Cindy Sherman • 13.11.2006