“You really look like a shadow,” people said to him(Hans Christian Andersen: The Shadow)
7月24日に発売された藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第1巻に「かげがり」(「小学四年生」1971年7月号)という話が収録されています。
ドラえもんが、影を切り取ることのできるハサミを出して、のび太の影をのび太の体から切り離します。切り離されたのび太の影は、のび太の言いつけ通りに働くのですが、時間がたってくると影のほうが知恵をつけてきて、そのまま放置しておくと影がのび太を乗っ取って両者の立場が入れ替わってしまうため、それを何とか防がねば……という話です。
この「かげがり」を読むと、ドイツ・ロマン派の詩人シャミッソー(Adelbert von Chamisso)が書いた『影をなくした男』(1814年発表)という物語を思い出します。私はこの『影をなくした男』の存在を、藤子先生のアシスタントだったT氏から聞いて知ったのですが、そのT氏は「藤子F先生は『影をなくした男』を読んでいたのでは」と推測されていました。
考えてみれば、ぼくは影をなくしたのです。影がない以上、影の原因である肉体が消えるのも当然でしょう。原因と結果が反対のようにも思えましたが、そんなせんさくをするゆとりはありませんでした。咥え去られたのが、役にも立たぬ影だけなどと、なんて甘い安心をしたものか。(『壁』第二部 バベルの塔の狸 安部公房 p152)
そう、我々は影をひきずって歩いていた。この街にやってきたとき、僕は門番に自分の影を預けなければならなかった。
「それを身につけたまま街に入ることはできんよ」と門番は言った。「影を捨てるか、中に入るのをあきらめるか、どちらかだ」
僕は影を捨てた。(『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』世界の終り(影) 村上春樹 pp125-126)
「もっと早くお休みにならなくては。このところほとんど横になっていないでしょう。お体がまるで影のようだわ」
「それは自分で考えたことかい?それともシャミッソー氏の入れ知恵かい?」
「シャミッソーのお話では登場人物は影を無くすだけよ。でもあなたはもっと大きなものを……」(『ホフマニアーナ』アンドレイ・タルコフスキー p.27)