かかれもの(改訂版)

本や写真、現代思想の点綴とした覚書

『第二の手、または引用の作業』引用の記号学

 シークェンスⅡ基本構造―引用の記号学より。

 コンパニョンは引用の記号学的水準について、パースの記号論を参照しながら仔細に検討します。本章にて「引用」の記号的関係性を明白にします。

引用の基本図式

 まずコンパニョンによる引用の基本図式を理解する必要があります。最も単純なケースは次のように表されます。二つの書物、あるいは二つのディスクールの間でテクストtが移動するとき(引用)、書物Tとその著者Aを内包するシステムS同士は〈関係〉を持ちます。

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文面の〈関係〉

 最も単純なケースにおいて、引用は、以下の諸要素を介入させる。まず、二つのディスクール、または、二つのテクストである。これをT1、T2 としよう。T1は、文面が一度目に出現して、それが採用されているテクストであり、T2は、同じ文面が、再び採られたものとして、二度目に現れているテクストである。次に、文面自体である。これをtとしよう。tはT1とT2の間で交換される対象である。それから、二人の著者である。これをA1、A2としよう。共にtの言表行為の主体であるが、A1はT1の、A2はT2、それぞれにおけるtの言表行為の主体である。(…)

 あるテクストから別のテクストへ、T1からT2 へと、tが移動することは、二つのテクストの間に橋が架かるということ、連結がなされるということである。バフチンにしたがって、この橋を〈対話〉と呼ぶこともできるかもしれない。私としては、コノテーションの網の目がそれほど込み入っていない、より自明であると思われる用語、すなわち〈関係〉という言葉を使いたいと思う。引用は、二つのテクストに関係をつけるのである。しかし、関係を結ぶのは言表行為である、というか、言表行為の反復である以上、関係は、言表行為の主体である二つの主体A1とA2を巻き込んでいる。したがって、引用が引き起こすものは、ただ単に二つのテクストT1とT2 の間の関係だけではけっしてありえない。引用が引き起こす関係とは、二つのシステムの間の関係、すなわち、S1(A1、T1) とS2(A2、T2)の間の関係なのである。

『第二の手、または引用の作業』交換関係 pp74-75

記号としての文

 記号とはなんでしょう。文はいくつかの記号から構成されていますが、文それ自体は記号ではありません(これはエミール・バンヴェニストが『一般言語学の諸問題』で追究した議論です)。コンパニョンはこれに対して、独自の主張を付け加えます。間ディスクールを構成する文は、文を構成する記号のように、「間ディスクールにおける記号」になることがあるのではないか、と。

上位の分析水準、すなわち、間ディスクール的現象の分析水準との参照において、もうひとつの戦略を採用することができるのではなかろうか。そして、ある種の文については間ディスクール性において記号であるということを認めることができるのではなかろうか。

『第二の手、または引用の作業』引用が記号になる(記号になった引用) p77

 記号が文の中で反復されるように、「引用」が間ディスクールにおいて反復されるのです*1

引用の三項構造

 議論を深めるためにパースの記号論が参照されます。パースの三項構造は対象、記号(表意体)、解釈項から構成されます。例えばある現象そのもの(対象O)は、それを表す記号R(「血」)と共に提示されます。私たちはそれに「殺人」「供犠」「鼻血」といった解釈Iを次々と展開します。

 

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対象、記号(表意体)、解釈項

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対象から生じる解釈の系列

 コンパニョンは引用の記号的関係もまたこの三幅対によって説明します。先の引用の図式にあてはめるならば、テクストT1における引用tは対象Oであり、テクストT2におけるtはOに対する表意体Rです。そしてテクストT2は複数の読者によって複数の解釈Iが生み出されます。こうしてtは「意味」のある記号となり、同時に解釈項の系列を成します。

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引用から生じる解釈項の系列

 

引用の分類

 テクストが別のテクストに移動するというただひとつの現象を「引用」としましたが、引用によって生じる意味は単一ではありません。「複数の意味の表れ方」については、再びパースの記号論に依拠して整理されます。

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記号の3つの水準とそのカテゴリー

 記号は三つの潜在性ないし観念性のカテゴリーと、三つの観点から分けられます。〈純粋文法学〉Aは、それ自体としての記号、それが記号であることが真であることがらを語る水準です。〈純粋論理学〉Bは、記号がその対象と結ぶ関係について、記号が対象の代わりとなることが真でなければならないことを語る水準です。〈純粋修辞学〉Cは、記号が解釈項と結ぶ関係について、記号と対象が結ぶ関係と同じ関係になるために真でなければならないことを語る水準です。

 コンパニョンは以降の議論をBとCに絞ります。Bは引用の理解であり〈意味作用の価値〉の産出、Cは引用の解釈であり〈反復価値〉の産出にまつわる問題となります。

引用の記号的な〈関係〉

 さて、これで本書の見通しが明らかになりました。続く、シークェンスⅢ引用の前史―引用の系譜学では、二つのシステム(著者とテキスト)の関係の組み合わせが主題となります。引用のシステムの関係性、対象を表す表意体とそこから生じる解釈項の問題を通時的に捉えることで、引用の解釈は開かれ、無限の系列を成し、対象に非決定的な意味を、幾何学的な意味の星座を示すことになるでしょう。

第二の手、または引用の作業 (言語の政治)

第二の手、または引用の作業 (言語の政治)

 

 

*1:tがS1とS2の〈関係〉から生じたものか、S1とS2それぞれで自然発生的に書かれたものかによって、tの性質は異なるものと言えます。tが二つのSの関係の中で生じた場合に限り、それは間ディスクールにおける記号となります。これはジェラール・ジュネットとネルソン・グッドマンの対立に通じる問題です。詳しい議論はジェラール・ジュネット『芸術の作品』や R・ロシュリッツ「芸術作品の自己同一性」から知ることができるでしょう。