かかれもの(改訂版)

本や写真、現代思想の点綴とした覚書

〈引用窓〉によるトランスクルージョン

 複合文書の論理は単純である。文書の所有権の概念に基づいているのだ。文書にはすべて所有者がいる。所有者以外の誰も修正できなければ、この文書の一体性は保持される。

 しかし、所有者以外でも好きなだけそこから引用して別の文書をつくることはできる。このメカニズムを〈引用窓〉または〈引用リンク〉と呼ぶ。新しい文書の「窓」を通して、もとの文書の一部を見ることもできる。これを〈トランスクルージョン〉と呼ぶ。 

 窓が付けられた(あるいは窓が開いた)文書の窓とは、文書間のリンクのことである。窓を通じて引用されているデータはコピーされない。引用リンクのシンボル(またはこれと本質的に同じもの)が引用しているほうの文書に置かれるだけである。こうした引用はもとの文書のコピーをつくるわけではないので、もとの文書の一体性、独自性、所有権になんの影響も与えない。

(テッド・ネルソン『リテラリーマシン ハイパーテキスト原論』p166)

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WINDOW SANDWICH, Literary Machines 93.1 (2/35)

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WINDOW SANDWICH 2.5

 Xanalogicalな空間では、ある文書は〈引用窓〉を通じてオリジナルの文書にアクセスすることができる。テクストはあらゆる批評、引用、原典、改定版へリンクする。

 現代における紙、あるいは電子的なテキストについて、テッド・ネルソンはこう批判する。

 紙やディスクでコピーを作った人には、ダイナミックなリンクをすべて失った、相互作用のない不活性なコピーだけが残ることにも注意しよう。これは私たちが論じている世界から見れば退行的な派生現象だ。

 文字と水の類似を思い出してほしい。水は自由に流れるが、氷は違う。ネットワーク内で自由に流れている〈生きた〉文書は、つねに新しい利用やリンク結合を受けている。新しく付けられたリンクはいつまでも対話的にアクセスできる。分離したコピーは凍って〈死んで〉おり、新しくリンク結合を受けることもない。

(テッド・ネルソン『リテラリーマシン ハイパーテキスト原論』pp188-189)

 ここには、私が希求する「書き直し」の手触りがあります。

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