かかれもの(改訂版)

本や写真、現代思想の点綴とした覚書

重なった眼

 

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dubble

  dubbleは、自分の写真と、世界の誰かの写真を多重露光するアプリです。決してカメラ揺籃期とは言えない現代において、多重露光フォトモンタージュ)という遊戯は何を意味するのでしょう。未だ、偶然性がもたらす「おかしみ」の中に私達は生きています。

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 dubbleのアイコンを見たとき、とっさに「カザーティ公爵夫人」(マン・レイ)を思い出しました。偶然撮影されたこの写真に夫人は大いに喜んだそうです。

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Man Ray "Marquise Casati"

「カザーティ公爵夫人」から想起したいくつかのイメージ…

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« La Fleur des amants »... "NADJA"

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ses yeux de fougère... "NADJA"

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岡上淑子「宣誓」

 

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「藪睨みのチコ」

 小さな望遠鏡。これをのぞけば世界はひとつになり、遠いものもくっきりと大きく見えます。チコはそれを知って以来、望遠鏡を片時もはなさない少女になりました。
 見ることが大好き。――望遠鏡で遠くを見て、目で旅をする! くっきり間近に感じられる不思議な世界へ、チコは毎日のように出かけていきました。(『扉の国のチコ』巖谷國士,中江 嘉男,上野 紀子)

(…)なぜなら私もまた生まれつきの斜視だからである。ただし医学的には潜伏性と呼ばれるもので、外からはほとんどわからない。外からほとんどわからないだけ無理が生じるのか、チコのように「ときどき」ではなくいつも世界が二重に見えている。自分で焦点をあわせてある物を一つに見ることはできるのだが、その場合にも前景と背景は二重のままである。疲れたときなどは物を一つにして見るのにちょっと時間がかかる。いっそ片目をつぶってしまったほうが楽だ。片目をつぶれば世界はくっきりとひとつに固定され、奥行きはさほどなくてもあざやかな印象をよびおこす。

(…)もっとも、チコの場合と異なっているのは、幼いころには自分の斜視に気づいていなかったことである。つまり、だれもがこんなふうに世界を見ている、あるいは世界とはこんなふうに見えるものである、と信じて疑わなかったようだ。そんなわけで、十代なかばになってたまたま眼科医に斜視を発見され、しかもかなり強度のものだといわれたとき、わずかではあるが衝撃を味わった。自分の見ている世界はどうもふつうとは違うらしいという感覚は、しばらくのあいだ私にいろいろなことを考えさせた。(「チコと望遠鏡」巖谷國士*1

 チコは二重に見える目を持っている。ただ、望遠鏡を覗くことで(片目をつぶることで)世界の輪郭がはっきりとする。(『扉の国のチコ』)

  巖谷國士の「チコと望遠鏡」を読んだときに、「これは私の書いた文章ではないか?」と驚きました。なぜなら私も全く同じ経験をしていたからです。あるとき初めて「物が二重に見えるのは普通ではない」ということを知りました。これは私にとって一つの小さな革命でした。

 今でもこうしてリラックスして文章を読むときは片目をつぶるクセがあります。細かい字を追うときは、こうして片目をつぶったほうが文字を見失うことがありません。

 

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 デュシャンの遺作の扉にある二つの覗き穴から見た世界。私達は否応なしに片目をつぶります…

扉の国のチコ

扉の国のチコ

 
封印された星―滝口修造と日本のアーティストたち

封印された星―滝口修造と日本のアーティストたち

 

 

*1:この文章は元々、グループ展「突然変異達」(1997)のパンフレットに寄せられた序文(「チコと望遠鏡」)のようです。『MUTATIONS 突然変異達/偶然に依る唯虚空論』にも同収録。本エントリのものは『封印された星 瀧口修造と日本のアーティストたち』に同収録の「チコと望遠鏡」から一部引用したものです。