かかれもの(改訂版)

本や写真、現代思想の点綴とした覚書

「つまらない」コラール

 

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《食欲をそそらないコラール》

 エリック・サティが「スポーツと気晴らし」(Sports et divertissements)におさめた冒頭の一曲です。

 すっと耳に入る穏やかなコラールですが、その譜面の傍に奇抜な序文が掲げられています。ここにエリック・サティという存在の韜晦さが十二分に示されています。

Préface

 This publication consists of two elements: drawing, music. The drawing part is composed of lines – witty lines [a pun: trait d'esprint="witty remark"]; the musical part is represented by dots – black dots [also means whole: "blackheads"]. These two parts combined – in a single volume – form a whole: an album. My advise is to leaf through this book with a kindly & smiling finger, for it is a work of imagination. Don't look for anything else in it.

 For the Shriveled Up and the Stupefied I have written a serious & proper choral. This chorale is a sort of bitter preamble, a kind of austere &  unfrivolous introduction. I have put into it all I know about Boredom. I dedicate this chorale to those who don't like me. I withdraw.

 ERIK SATIE

『Twenty Short Pieces for Piano』p.7

序文

 この出版物は、デッサンと音楽という、ふたつの芸術的要素によって構成されている。

 デッサンの部分は、線による形ーー機智にとんだことばによって、かたちづくられている。音楽の部分は 点ーー黒い点によってあらわされているわけだ。この2つの部分が一巻に纏められ、アルバムとして全体を形づくっている。私はつぎのことをお薦めしておきたいと思う。

 ーーつまり、この本の一ページ、一ページは、微笑みをたたえながら、やさしさにみちた指先でめくられるようにと……。

 なぜなら、この作品は幻想の作品だからである。けっして、それ以外のものを、そこに見てとるようなことのないように。

 ”無味乾燥なしなびた人々”や”愚かな人々”のために、私はかれらにふさわしい厳粛なコラールを書いた。このコラールは、一種の苦味のようなものである、渋く、すこしも軽佻浮薄なもののないところから始めるというやり方である。私はここに退屈(倦怠)というものについての私の知っているすべてを盛りこんでみた。

 私はこのコラールを、私を嫌っている人々に捧げる。さて、それでは、このへんで引きさがることにしよう。

エリック・サティ覚え書』スポーツと気晴らし pp.394-395*1

 2015年のエリック・サティとその時代展 | Bunkamuraで見たサティの楽譜は嘆息するような緻密さがありました。

  どうやらこれはカリグラフィーと呼ばれる類で、日本でいうところの書道に相当するようです。聴覚的に、そして視覚的にも愉しめるように作られているそれは、美術品のようでした。


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  旅先でふらっと立ち寄ったササヤ書店で偶然手にしたサティの本は、楽譜というよりも、謂わば「絵本」のようでした(一目惚れして買ってしまったのは言うまでもありません)。

Twenty Short Pieces for Piano (Sports et Divertissements) (Dover Music for Piano)

Twenty Short Pieces for Piano (Sports et Divertissements) (Dover Music for Piano)

 

  本書は「スポーツと気晴らし」を構成しているエリック・サティ(音楽)とシャルル・マルタン(挿絵)の両方が、作者の意図通り、欠けることなく掲載されています。おそらくこの本は弾くためではなく、観賞するための本です。 

 飽き飽きした食指の動かない模範的コラールは、同時代を生き、生前から評価を受けていたドビュッシーとの対照を象徴するようです。しかし、だからこそサティもまた時代に囚われず取り挙げられる芸術家として、別の普遍性を獲得しているのかもしれません。

 この「つまらない」コラールを聴いていると、ふと坂本龍一「async」の冒頭を飾る曲を思い出します。

Ryuichi Sakamoto / async from commmons on Vimeo.

*1:

 

エリック・サティ覚え書

エリック・サティ覚え書