かかれもの(改訂版)

本や写真、現代思想の点綴とした覚書

点綴としたものを拾い集めるということ

てん てい【点綴】*1

点を打ったように,物がほどよく散らばること。また,散らばっている物をほどよく綴(つづ)り合わせること。てんてつ。てんせつ。

 日常で使わない言葉を目にしたとき、ストンと腑に落ちることがあります。その一方で、いつまで経っても口から滑り続ける言葉があります。

 命名行為(=言語化)は物事を簡潔に表す作用があるのですが、それが全てではありません。この矛盾した様を表す「点綴」という言葉はどう受け取ればよいのでしょうか。私はこの言葉をどうしても嚥下できないのです。

 ある翻訳サイトではこの言葉を a line (of mountains, islands, houses, etc.); bound together と表現していました。日本語の説明より幾分描写的です。山の連なりの稜線、水平線に点々と浮かんだ諸島、薄明に並ぶ住宅の路地、そんな風景が不思議と湧きあがります。

 あるものが集まって一つの束(線)を作り出しているのです。そしてこう言い換えることもできるでしょう。「ある一つの束は複数から構成されている」。*2

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2015/1/10 Funabashi

 点と線は表裏一体です。人間の過剰な想像力によって点と点は線で結ばれてきました。その最たる例は星座でしょう。

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http://m45.jp/spitzchu/archives/359

 星と星座の関係は「点綴」の賜物です。好き好きに散らばっている星に線を結び、主観的に意味連想してしまったもの。それが星座という物語です。

 点綴には、本義から転じて「書物をまとめあげる」という意味もあります。まとめあげたられたものは一冊の本を表しています。では、その意味において「散らばっているもの」は一体何を指しているのでしょうか。文章のセンテンス、著者の思考、文字が印刷された紙片。これらバラバラになっている要素に一つの方向性を与え、まとめあげた物。一つの束として結晶した物……

 執筆に着手するとき、私は、かなりの数の、あちこちに散らばった単位を用いる。これらは、(たとえば、カードの上に)素材として物質化されていたり、そうでなかったりする。これらのさまざまな単位――それらは、引用文であることもあれば、そうでないこともある――の地位が、本質的に異なっているかどうかは不確かであるし、そうした個々の単位の地位がエクリチュールを大きく左右するものなのかどうかも不確かである。そもそも、引用でない単位の起源が何であったかということを思い出したり、発話したりすることなど、できるだろうか。これらの単位もまた引用である、ということがありうるのではないだろうか。ばらばらに離れた、不連続な諸々の要素を、連続し、一貫した全体へと転じること、それらの諸要素を 集め、それらを一緒に包含し(一緒に取り扱い)、つまりは、それらを読むことが問題になるやいなや、エクリチュールという仕事は、まさに〈再び書くこと〉と同じになるだろう。エクリチュールとは、常に、そういうものではないだろうか。再び書くこと、さまざまな端緒から出発してひとつのテクストを紡ぐこと。それは、それらの端緒を整理し、互いに結びつけることであり、現前している諸々の要素の間に起こる接合や転移を実現することである。エクリチュールのすべてが、コラージュと注解であり、引用と注釈なのだ。

アントワーヌ・コンパニョン『第二の手、または引用の作業』p45

 そして、わたしはその先を夢想します。書物の集合もまた点綴している、と。図書館には主観的に並べられ、まとめられた本棚があります。それらは散らばっていながらまとまっているのです。本があるべき場所に収まっているのは何故でしょうか。まとめられた本の集合は、人類の大きな物語を予感させます。

 

 

目次をめくってみました。

みすず書房さん(@misuzu_shobo)が投稿した動画 -

  断章は私たちの心を捉えます。現代の私たちにとって、ブログ・ツイッター・インスタグラム・その他タイムライン形式の数々は「断章」です。*3

 点綴とした言葉。私たちは未だ線を失っていません。歴史は死んでいないのです。

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The Channel at Gravelines, Evening / Georges Pierre Seurat(1890)

*1:点綴とは - 難読語辞典 Weblio辞書

*2:「line island」で検索するとグラフ理論の話が出てきます。エッジを島と表現するのはケーニヒスベルクの橋の問題からでしょうか。いずれにしても、いかに線結ぶか、いかに橋をかけるかは、無意識の回路としてのsens(=向き)。すなわち「動線」を与えます

*3:タイムライン=時間-線。時間の線に結ばれた言葉。しばしば逆行した時間の流れで提示されます